財団新居浜病院(前 新居浜精神病院)は南に四国山脈を望み、北には瀬戸内海が広がる愛媛県新居浜市の中心部に昭和28年に開設され、新居浜市を中心として、東予地区の精神医療の中核病院の一つとして努力を重ねてまいりました。
この度、病棟の老朽化もあり一部の建て替えを余儀なくされ、平成22年7月に新築7号館(211床)が完成いたしました。これも地域の皆様、関係各位のご支援の賜物と心より感謝いたしております。
さて、財団新居浜病院は、時代の変化に伴う患者様やご家族、そして地域のニーズの変化に応ずるべく「患者様中心の医療」を目指し医師、看護職員、薬剤師、作業療法士、精神保健福祉士、臨床検査技師、臨床心理士、管理栄養士、事務職等が一丸となり精神医療に取り組んでおります。また、2011年には日本精神神経学会より「精神科専門医制度における研修施設」として認定を受け研修医始め他の実習生も受け入れ、全職員のレベルアップを図っております。
近年は高齢者社会を迎え老齢期の精神疾患(認知症等)が益々増加し、その対応に迫られております。当院も2009年に日本老年精神科医学会より「専門医制度における認定施設」として認定を受け、認定専門医を配置し治療にあたっております。
先に挙げました「患者様中心の医療」を目指し職員一同、患者様及びご家族のサポートができるよう日々努力を重ねていく所存でございます。
財団新居浜病院
病院長 西谷 周作
「社会復帰への希望」に憶う
病める人びとの希み そは母なる海
病める人びとにかしずく心 そは紅の炎
第3代理事長 藤田啓介 先生
壁画のさまざまな
矢羽型陶板は向上を願う病院の努力を
壁画のなかに象嵌された
青の棒タイルは病める人びとの望む社会への適応を
赤の棒タイルは病院で働く人びとの無限の愛を
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | |
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9:00~12:30 | ● | ● | ● | ● | ● | - | - |
13:30~17:00 | ● | ● | ● | ● | ● | - | - |
開設者・初代理事長、藤田靖博士は、岡山大学医学部にて研鑽をつみ、学位を取得後、昭和9年よりこの地に藤田病院を開業していた。
博士は、昭和27年5月30日、下記のような当地域における精神衛生の実態に鑑み、私財を提供して、民法第34条による財団法人新居浜精神衛生研究所を設立(愛媛県指令社360号を以って認可)した。
「昭和28年当時、世情漸く敗戦後の物心両面に亘る混乱状態より回復の兆しありしも精神障害者に対する医療と精神衛生に関する対策は、いまだ甚だ寒心にたえぬと言わざるを得ぬ状態なりき。
そもそも当愛媛県は全長全国第5位のリアス式海岸線にて瀬戸内海に接し、その80%は四国山脈地帯であり、交通網不整備不充分な風土に、永く、松山精神病院のみ、外には南予地区に宇和島精神病院漸く昭和28年6月開設されたるのみにて、東予地区にはこの種の病院、施設全くなく、入院加療を受けざるを得ぬ場合、家族、親族総掛りで患者と松山まで同行するの外なきこともあり、その危局、心労は一方ならず、加えて当時の県下にて精神病患者の自宅監置、座敷牢監禁多数見られ、而もその実態の人道的か否かは明確を欠けり。
他方、第二次大戦中、覚醒剤として開発されしヒロポン(メタンフェタミン)は、戦後、数年間尚、一般に市販されたるため、その乱用による薬害が認定されるるに及び、発売禁止措置のとられたるも、その後の密造密売により、所謂覚醒剤中毒患者の多発が大いなる社会問題となれり。」
翌、昭和28年9月6日本財団の事業の一つである新居浜精神病院(55床)(現財団新居浜病院)を開設し積極的に医療活動を開始した。「当時の診療担当範囲は新居浜地域の外、東は川之江市(現四国中央市川之江地区)、西は周桑郡丹原町(現西条市)まで、南は、別子山村(現新居浜市)・新宮村(現四国中央市綾南地区)までの東予地区一帯に及ぶ。さらに各保健所の精神衛生活動にも積極的に協力し、巡回診療、往診、啓蒙講演等にも尽力せり。」
また、昭和33年4月泉川准看護学校を開設して、准看護師としての知識、技術を教授し、博愛の精神を基に社会に寄与する人材の育成に努めた。
その後、看護師の育成が当地域医療界の要望となり、昭和54年12月東城高等看護学校を併設し、昭和56年3月よりは東城看護専門学校として、広く、東予地区より向学の男女を受入れ看護師、准看護師の養成に努め、地域医療に対して大いに貢献してきた。
『一般財団法人新居浜精神衛生研究所紀要』より引用
理事長 藤田 靖 先生